月夜の大魔神

 調布駅前の踏切から南にまっすぐ下っていくと、ゆるやかな坂道の左側に、映画撮影所が現れます。その入口にぬっとそそり立っている巨大な二つの立像が、大魔神です。大映時代劇特撮映画の傑作、「大魔神」に登場した巨神像。映画の迫力そのままに、道行く人をかっと睨みつけているこの立像には、ちょっと不思議な噂があるのです。
 夜酔っ払って大声で騒ぎながら、この坂道を下っていたサラリーマンが、突然首根っこをつかまれて、ポーン、と道の向こう側まで放り投げられた、なんていう、これはいかにも嘘っぽいお話もありますが、立像の下向きに開いていた右の掌が、いつのまにか握りしめられていた、とか、夜中に、撮影所の中を巨大な影が動いている気配がして、翌朝見れば、立像の立っている場所が少しだけずれていた、といった、ちょっと、ほんとか、と思わせるようなお話もあります。まぁ、いわゆる都市伝説のたぐい。映画の強烈な印象のために、生命のない立像までが、人々の想像力をかきたてる・・・というのが種明かしでは、とは思います。
 と言いながら、私はなんとなく、あの立像はただものではないのでは、と思ったりするのです。いや、他でもない私の知り合いが、あの立像をめぐって、とても不思議な体験をしたのです。彼女はまだ若いOLさんですが、いわゆる都市伝説に惑わされるような浮ついた所もなければ、いい加減なでたらめを並べて人を煙に巻く様な、そんな女性でもありません。その彼女が、真剣に、そしてとても楽しそうに、こんな話を私に教えてくれたのです。
 それは、彼女がまだ高校生だった頃の、ある夜の出来事でした。その夜、彼女はとても傷ついていました。同級生の男の子とのデートの帰り道、公園を抜ける木陰で、彼がキスを迫ってきたのです。(と、彼女は少し顔を赤くして、でもなんとも懐かしそうに、私に教えてくれました)デートに応じた時から少しの期待もあったのだけど、やっぱり突然の、それも強引な迫り方に、彼女はなんだか怖くなって、彼氏を突き飛ばして逃げてしまいました。茫然として調布駅に降り立って、駐輪場に停めていた自転車に乗ってみれば、チェーンが外れて走らない。壊れた自転車を押しながら、調布駅からの下り坂を多摩川に向かって歩いていると、なんだか悲しくて悲しくて、涙が止まらなくなってしまった。ちょうど綺麗な月夜の晩で、頭の上には冴え冴えとした満月が浮かんでいます。でも心は重いし、下り坂では自転車を支えるのも一苦労です。とうとう彼女は坂の途中で、すっかり歩けなくなってしまいました。体が疲れてしまった、というよりも、心が前に進めなくなってしまったんですね。道端に自転車を横倒しにして放り出したまま、その側にしゃがんで、膝を抱えてしくしく泣いていたのだそうです。
 こんな時に、お父さんがいたらなぁ、と、なんとなく考えた、と彼女は言いました。普通の女子高校生なら、恋愛の相談を父親にする、なんて考えもしないと思いますが、彼女の場合には事情があって、お父さんを早くに亡くしていたのですね。お母さんにも相談はできるだろうけど、男の子の気持ちを尋ねるなら、やっぱりお父さんかなぁ、という気持ちもあった。それ以上に、なんだかどうにもやりきれない気持ちを、大きな温かいもので包んでほしかった、というのが、心の奥底の本当の思いだったのかもしれません。
 しくしく泣いているうちに、なんだかうとうととしていたような気もしました、と彼女は私に言いました。気がつくと、体がふわり、と浮かんでいました。何か、とても大きなものが、彼女を軽々とすくいあげ、ひょい、とどこかに乗せました。お尻の下に、ざらっとした感触があって、見てみれば、彼女のすぐ横に、緑色の巨大な怖い顔が、かっと前を睨みつけたまま、ずんずんと前進していくのです。
 そう、それが、大魔神でした。彼女は大魔神の肩に乗せられて、ずんずん、多摩川の方に進んでいくのです。大魔神はあの憤怒の横顔のまま、彼女には一瞥もくれません。下を見れば、ぶらりと下がった彼女の両足の下に町並みがあって、大魔神はその街を踏みつぶすわけでもなく、まるで透明な影の中を進んでいるように、あらゆる建物をすうっと通り抜けるようにして、まっすぐに多摩川めがけて歩いていくのです。
 恐怖、というよりも、浮遊感と爽快感の方が強かった、と彼女は微笑みながら話を続けます。大魔神は、とても怖い顔をしていたけれど、顔の表情とは全然違う、もっともっと温かいものが、彼女を支える手のひらから伝わってきた。彼女はなんだか安心して、大魔神の兜につかまりながら、近づく多摩川を見つめていました。
 そのうちに、彼女の周りの街並みが、見慣れたはずの街並みが、どことなくたたずまいを変えてきた。真新しい背の高いマンションが消えて、広い畑が現れた。アスファルトの道路が消えて、月の光を浴びて白々と光る小さな川の流れが見えた。大魔神は夜の街を進むと共に、時間を逆行しているらしい。今、大魔神は、私を昔の調布に連れて行こうとしているんだ、彼女はぼんやりそう考えたそうです。
 月の光が川面に踊る多摩川の川べりで、大魔神は立ち止りました。彼女の腰を大きな手でがっしりとつかんで、そっと土手におろしてくれました。そしてそこで、彼女は二人の人影を見たのです。
 どうしてそれが、若い日の父と母だと分かったのか、私にも説明がつきません、と彼女は言いました。大魔神が、心で教えてくれた、そうとしか思えない。川面できらきらと散り乱れる月光の前に、二人のシルエットが浮かんでいました。お父さんの手が、そっと、隣に座るお母さんの肩に置かれた。二人とも、高校生の制服姿です。お父さんの手が肩にふれた瞬間、お母さんの背中が、びくん、と震えるのが見えました。その震えとともに、川面の月の光が、ぱん、と跳ねたように思った、と彼女は言いました。でもそれは、川面の光ではなく、ひょっとしたら、彼女の心臓が跳ねた音だったのかもしれません。
 若い日のお父さんが、そっとお母さんを自分の方に向かせると、二人はじっと見つめあい、そしてゆっくり、お互いの唇を重ねました。なんて綺麗なんだろう。なんて優しい光景だろう。彼女は思わず微笑みながら、若い両親のファーストキスの場面を、胸をときめかせながら見つめていました。
 いつかきっと、と、誰かが耳元でささやいたような気がしました。暖かな低い声。かすかな子供の頃の記憶に残る、お父さんの声のような気もした、と彼女は少し遠い目をしながら言いました。いつかきっと、君も出会える。いつかきっと、それも近い将来に、君にも、こんな素晴らしい瞬間が、訪れる日がくるよ。
 また、すっと、大魔神の大きな手が彼女の腰をつかみ、自分の肩に乗せると、ずんずんと多摩川べりを、彼女の家の方向へと歩き出します。彼女の眼の下で、街の風景が、雨にぬれる水彩画のように輪郭を失って、新しいマンションやスーパーマーケットなどが浮かび上がってくるのが見えます。そうやって再び時間の中を進むうち、彼女はなんだか心安らかな気持ちになって、そのまま大魔神の兜にほほを寄せて、うとうとと眠ってしまったのです・・・
 これが、私の知り合いの若い女性のお話です。彼女のお母さんが会社から夜遅くに帰ってきてみれば、彼女は自分の家の玄関先で、さも幸せそうに丸くなって眠っていたのだそうです。まぁそれだけ聞けば、夏の夜のうたたねに見た、小さな夢、とでも思いますが、彼女はにっこり微笑んで、私にこう問いかけました。「壊れた自転車、どこにあったと思います?」
 「大魔神のね、足元にあったんですよ。それもね、憤怒像じゃない、埴輪の顔をした神像のそばに。」彼女はくすくす笑いながら、私にこう言いました。「きっとね、憤怒像の大魔神が、私を連れて行った後、埴輪像の大魔神が、しょうがないなぁ、なんて言いながら、自転車を片づけてくれたんだって、私そう思うんですよ。」
 さて、調布の大魔神像の不思議なお話、あなたは信じるかどうでしょうか。例え信じられなかったとしても、こんな不思議があったとしたら、世の中ちょっぴり楽しいよなって、そうあなたは思いませんか?

(了)