怪獣のバラード

でかけよう 砂漠捨てて
愛と海のあるところ
〜岡田冨美子 作詞 東海林 修 作曲 「怪獣のバラード」より〜

 
 橘くん、どこに行ったか、知らない?
 水野さん?ああ、あのおじいちゃん?ピアノのある部屋に行ったの?
 こんな本番直前まで?練習熱心なのねぇ・・・違うの?
 ああ、そう・・・そんなに大変なんだ。じゃあ橘くん捕まらないよね。どうしようかな。
 あ、先生がいるわ。ちょっと先生!・・・

 ・・・話できた。
 合唱団の位置のことよ。あれじゃあオーケストラと遠すぎて歌えない。
 「水のいのち」の時には場所を変えようって。先生も了解してくれたわ。
 ちょっと安心した。

 スケジュールきついよね。まだ時差ボケ抜けないでしょ?
 明日の市内観光どうしようかなぁ。ブッチしようかなぁ。なんか、元気残ってないよ。
 どうせ今晩も打ち上げなんだしねぇ。
 おばさんおじさんは元気でしょうけどねぇ。あの人たちの元気はどこから来るのかなぁ。
 若い人たちは元気があっていいわねぇ、なんてニコニコ笑いながらさ、今日も朝6時に起きてセントラルパークをジョギングしてた人たちいたのよ。
 あれが、日本の高度成長を支えたエネルギーなのかしらね。すごいなぁ。
 あのエネルギーを裏方仕事に少しまわしてくれると嬉しいんだけど。

 はい?Hello? No, No, I’m not an orchestra staff. I’m a chorus one. Please ask that guy. Yes, that huge guy. Thanks.

 英語?勉強しましたよ。勉強しろって言われたもん。週に二回、マン・ツー・マンの英語レッスンね。トドみたいにボホボホ笑う金髪のおばあちゃんを相手に、1時間英語だけで喋るの。1時間のうち20分くらいは、おばあちゃんの笑い声聞かされてるわね。笑ってる時間の分だけお金返してほしいわよ。

 そうねぇ、もうあと3カ月くらいかなぁ。

 怖いよそりゃ。時々、すごく不安になって眠れなくなるよ。

 橘くんはいいわよ。会社があるしね。一日のほとんどの時間、仕事のこと考えてればいいわけだし。仕事は東京の本社とつながってるでしょう。でも、私は本当に一人ぼっちで、この街に放りだされるんだからね。
 先生がこっちにいてくれてよかったよ。ほんと。

 アメリカ行くって言われた時は寂しかったけどねぇ。え?先生のことだよ。橘くん?寂しいっていうか、ただびっくりしただけだよ。

 年齢もあると思うんだよね。先生がアメリカに行くって決まった時、私たちまだ大学生になったばっかりだったでしょう。アメリカって、ものすごく遠い国のような気がしたからね。高校生の頃からずっと指導してくれてた先生が、本当に自分たちの手の届かない遠い遠い所に行ってしまうんだって、みんなして泣いたなぁ。

 橘くんの米国赴任が決まった時はね、私ももうこんな年だったしね。海外旅行も何度もしてたし、それこそ、ニューヨークに先生訪ねてきたこともあったし。そんなに遠くに行くって感じじゃなかったよ。

 でもね、一昨日、飛行機で着いてさ。タクシーの窓から、マンハッタンの夜景が見えてきたらさ。急に怖くなってきたね。
 ああ、私は、日本にある自分の絆を、たくさんの人とのつながりを、全部断ち切ってここに来るんだなぁって。そう思った。
 橘くんとか、先生とか、そういう本当にわずかな絆だけを頼りにして、体一つでここにくるんだって。

 高校の頃のことさ。思い出すよね。
 橘くんと私とあなたとさ。しょっちゅう学校の近くの喫茶店で、練習帰りに、お茶しながらだべってたよね。
 あの店、まだあるのかなぁ。あんみつが美味しくてさ。あなたは、甘いのが駄目で、いっつもブラックのコーヒーだった。橘くんはしょっちゅうクリームソーダ頼んでたよね。子供みたいって二人して笑った。どうしても飲みたくなるんだって、橘くん、開き直ってたけど。

 あれ、まだ衣装に着替えてないおばさんたちがいるね。大丈夫かな。ほんとにみんなのんびりしてるんだから、いやになっちゃう。

 私ね、あなたにずっと、謝りたかったの。橘くんのこと。
 そうだね。昔の話だけどね。でも、私が、橘くんと付き合うことにしたのは、絶対、あなたのことがあったからだと思う。
 あの喫茶店で三人でいる時からさ。ずっと私、あなたの気持を確かめたくて、でも怖くて、ずっとその話には触れないように、触れないようにってしてた。
 でもね、橘くんと二人になった時にはさ。あなたの話ばっかりしてたよ。二人して。
 やっちゃんって、いいよねって。さんざん、橘くんに売り込んだりした。馬鹿みたい。

 多分ね、そんなことないよ、お前の方がいいよって、言ってほしかったんだと思う。
 でも橘くん、結構鈍感だから。そういう話より、次の練習計画の話とか、先生の歌の解釈の話ばっかり。
 だからね、私、やっちゃんのこと、橘くんに売り込んだりしてたくせにさ、やっちゃんが、橘くんのこと好きになるはずがないって、高くくってた。ちょっと不安になりながら、あなたの気持ち、ちゃんと確かめた方がいいって思いながら、でも、まさかって思ってた。こんな音楽オタクのこと好きになっちゃうなんて、私くらいなもんだろうって。

 だから、やっちゃんにあの日、「橘くんと付き合おうと思う」って言われた時は焦ったよ。無茶苦茶焦った。
 焦るのと同時に、すごく腹が立った。なんでもっと早く言ってくれなかったんだって。馬鹿みたい。八つ当たりだよね。
 その日のうちに、橘くんに電話して、「付き合って下さい」って言ったの。私から。
 そう。あなたに取られたくなかったから。

 私ね、怖いの。
 橘くんのこと、好きなのは本当だよ。
 でもね、こうやって何もかも捨ててさ。橘くんだけを頼って、体一つで、誰も知らないこんな街にまで来ようって思ってるのは、本当に、橘くんへの愛情だけなのかなって。
 時々怖くなるの。
 ひょっとして私、あの時のあなたへの意地だけで、ここまで来ようとしてるのかもしれない。

 ごめんね。こんなこと、今言う話じゃないよね。
 なんか、時差ボケのせいもあるのかな。徹夜明けの時って、ちょっとぼおっとしちゃうじゃない。酔っぱらった時みたいにさ。そんな感じなのかな。やだ、なんか涙も出てきちゃった。

 ホテルの近くのコンビニっていうかさ。お土産物屋さんみたいのがあったでしょう?
 あそこにさ。一杯Tシャツが並んでたでしょう。I Love NYっていうロゴの入ったTシャツ。
 あれ見てね、今日歌う、「怪獣のバラード」の歌詞を思い出したの。
 
 でかけよう 砂漠捨てて
 愛と海のあるところ
 
 
 私は愛と海のある街に住むんだなぁって、思ったよ。

 なんか落ち着かない。ちょっと、受付手伝ってくる。ちらしの挟み込みとかやってるはずだからさ。

 橘くんはさ、ああいう人だから。なんだかクソ真面目で、不器用でさ。全然かっこよくない。
 だから、一度も私に言ってくれたことがないの。でもね、私、この演奏会の間にね、一度でいいから聴きたいの。彼の口から、たった一言でいいからさ。
 「愛してる」って一言。

 ごめんね、じゃ、行ってくる。

(了)