夢見たものは
夢見たものは
一つの幸福
〜中原中也作詞 木下牧子作曲「夢見たものは」より〜
パート別性格診断って、覚えてる?ほら。大学に入った時にさ。先生が言ってた。
声と性格って、結構関係あるよねって、先生。ニコニコしながらさ。覚えてる?
ソプラノってのはさ。ヒロイン願望が強くてさ。自分が一番で、自分のやりたいことを邪魔されるのが嫌なんだよ。声が高いだけじゃなくて、プライドも高いし、気ぐらいも高いし、計算高い。ベースが音をはずしてソプラノの主旋律の邪魔したりするとさ。ものすごい形相でにらんでくるんだよね。
里美さんがさ、練習中に、別に何にも考えずにぼおっと俺の方見てるだけでさ。なんか、俺の出している音が間違ってるんじゃないかって、ドキドキするんだよね。水野さんってさ。ほら、米国側の合唱団のおじいちゃんでさ。どう聞いても音痴のおじいちゃんいるじゃん。あの人なんかさ。里美さんと廊下ですれ違っただけで「ごめんなさい」って謝ってるんだぜ。笑っちゃうよね。
テノールはさ。声が軽くて明るい割には、意外と女性に関しては律義で真面目なんだよ。人によっては軽やかにくだらないギャグを飛ばしたりするんで、頭も軽いとか、低能ルとか言われたりするけど、結構固くて、古風な男尊女卑の考え方に染まってたりする。だから、自分から、「愛してる」なんて絶対言わない。最後の一言をなかなか言わなくて、女性の方がじれて、女性の方から先に、「私のことどう思ってるんですか!」なんて積極的に押して行って、おさまる所に納まる、そういうケースが多い。ずるいんだよね。結局ね。
康子はさ。アルトだからさ。
アルトは、なんでも受け入れちゃうんだよ。こだわりがなくて、音程にもあんまりこだわりなくて、結構テキトーな音出してたりするんだよね。包容力がありすぎて、律義なアルトは自分で抱え込みすぎて自爆するし、律義じゃなかったら、なんでも笑ってすませちゃう。笑い声が豪快だから、笑うとなんでも許されちゃう、っていうのがアルトの人徳なんだ。ソプラノと並べると、自己主張が強いソプラノに流されてしまう。オペラとかだと、カルメンとかデリラみたいに、ものすごく自己主張の強い役割を与えられているのに、そういう自分に対するこだわりもあんまりない。
そうだね。分かってるよ。そういう風に見えるだけだ。確かに、内側では、一杯葛藤がある。分かってるよ。
JFKでさ。入国ゲートをくぐって、康子が、橘さんを指差した瞬間にさ。分かったよ。ああ、彼か、って。こいつが、康子の初恋の人かって。
橘さんってさ。テノールだもんな。そりゃ言わないよ。自分からは。好きだとか愛してるとか。そういうこと絶対言わない。
そうじゃないって?何が?
自信持てって言われてもさ。持てないよ。俺、バリトンだもん。
バリトンはさ。先生が言ってた通りでさ。テノールより粘着質で、声が体に響くから、その体に響く感覚が気持ちよくて、その快感を追い求めているうちに、テンポも音程も無茶苦茶になるんだよね。そういう自分の体の感覚にこだわる部分が多いから、マゾっぽい奴が多くて、ソプラノの冷たい視線に身もだえして喜んでいたりする。
だから、女性に関しても、自分に自信なんかないくせに、結構しつこいんだよ。バリトンの方から、女性にしつこくアプローチした挙句に、女性の方が根負けしちゃって、「そんなバカな」って言うような高嶺の花の女性を射止めたりする。
康子の時だって、そうだったでしょ。
ずっと、憧れだったから。俺の。康子はさ。
大学の合唱団で、最初に会ってから、ずっと。
自信なんかもてないさ。自分でも思うもん。つりあってないって。
違うって何さ。分かんないよ。だってどう見たって、橘さんの方がいい男じゃん。かっこいいし、みんなをここまで引っ張って、こんなすごいイベント実現させたんだし。俺なんか、足元にも及ばないじゃん。
痛いよ。そんなに叩くなよ。俺、胸板厚いからいいけど。
悔しかったの?思い出したの?何を?
なんで泣いてるの?里美さんに、なんか言われたの?
演奏会終わったら、ちゃんと説明してくれるの?分かった。じゃあ、演奏会が終わったらね。
愛してるよ。俺、バリトンだから、俺からちゃんと言うよ。愛してるよ。
こうやって、康子のこと抱っこしてるとさ。「夢見たものは」の頭の所がね、頭の中で鳴るんだ。
夢見たものは
一つの幸福
願ったものは
一つの愛
分かってるよ。ちゃんと言うよ。だから、康子も、俺に言ってくれよ。俺と結婚したことさ。こうやって、二人して、抱き合ってることさ。
「幸せ」って。一言。
ほら、人が来たらびっくりする。涙拭いて。そろそろ、楽屋に戻ろう。
(了)