オリジナル・オペレッタ 「昭和ローマンス『扉の歌』」その1(プロローグ〜第一幕途中まで)

登場人物:(登場順)
 
黒田子爵(黒田喜一郎): 軍部の独走を抑えようと画策する政界の黒幕
斉藤(斉藤彰浩): 黒田子爵に共感する穏健派軍人
沢渡真美子: 「扉の歌」を知る歌姫。
柏崎源一郎: 真美子の出演するカフェ「モンマルトル」の常連。売れない文芸雑誌の編集者兼経営者。
卓郎(森下卓郎): 源一郎の友人の売れない小説家。「モンマルトル」の常連の一人。
隆二(大谷隆二): 源一郎の友人の売れない画家。「モンマルトル」の常連の一人。
明子(内藤明子): 「モンマルトル」の女給。真美子の友人。
平田少佐(平田秀次郎): 皇道派軍人で、陸軍諜報部に所属する。
野口男爵(野口大樹): 不良男爵。
モンマルトルの客達・女中達・軍人達
 
 
プロローグ(黒田子爵の私邸):
 
舞台上は闇。
 
ぼんやりと、机が一つ浮かび上がる。机に座っている恰幅のいい黒田子爵。その机の前に立ち尽くしている軍服姿の斉藤。
 
黒田子爵:昭和の御世が始まって、まだ数年にしかならぬのに、今の帝都の有様ときたら、まさに乱るること麻の如しさ…
斉藤:皇道派の一部の将校は、いまや爆薬袋です。統帥権の干犯を叫びつつ、彼らがひたすら向かうのは、軍事政権の樹立と共に…
黒田子爵:それは日本の破滅の道だよ。戦線のひたすらな拡大と、伸びきった兵站を維持できぬ後方部隊、そして糸はいつかは必ず切れるもの。
斉藤:その糸をなんとかつなぐ、夢物語。それがにわかに現実味を…
黒田子爵:物部の埋蔵金とは、大きく出たものさ。(苦笑しながら、立ち上がり、机の上の雑誌を、斉藤に投げる)56ページのコラムだよ。
斉藤:(雑誌を繰り、読み上げる。その背後に、「扉の歌」のメロディーが流れる)「その娘の生活は歌にある。歌は彼女の命であり、歌は彼女の神である。」
黒田子爵:3段目の文章を読んでご覧。
斉藤:「彼女は時折口ずさむ、『扉の歌』と呼ぶ歌を。つらい浮世を生きるうち、己の行方に迷うとき、心をこめて彼女は歌う。どこか哀しいその歌を。どこか優しいメロディーを。心をこめて歌うなら、必ず目前に扉は開き、新たな道が通じると。『扉の歌』の所以を問えば、遠く平安の時代から、蝦夷と呼ばれた東北の、荒ぶる人々の口の端に、貴き宝を封じたる、扉を開く呪文なりと、代々伝わる歌という…」子爵これは!?
黒田子爵:物部のつたえた「ひらけごま」さ。そしてお前が教えてくれた、平田が見つけたという埋蔵金の地図…
斉藤:平田はこの雑誌の記事を?
黒田子爵:まだ知らぬとは思うがな。早く先手を打たねばならん。わしは今すぐにでも、この記事を書いたという若い記者に会うつもりさ。
 
暗溶
 
序曲
 
第一幕(カフェ「モンマルトル」):

 
序曲がそのままに、幕が開くと、それは、真美子の歌うカフェ「モンマルトル」のレビューステージである。
華やかな衣装をまとった真美子が歌い、客席も合唱団も共に歌う。
 
真美子:
一夜の夢の いたずらに
胸に残るは その瞳
うつつの街をさまよえば
全てこの世は幻と
 
合唱:
時計の針に背中押されて すし詰めメトロで都会に出れば
この東京はジャングルさ。
あちらこちらで愛をささやく 恋人尻目に円本かかえ
インテリ気取って闊歩する
ロマンスよりもインテリジェンス、それが昭和の俺たちさ!
 
真美子:
あたしの熱を冷ましてよ
この胸の火を収めてよ
夢で出会ったあの人が
今宵もささやく愛の歌
目覚めてみれば胸騒ぎ
頬の火照りが冷めやらぬ
 
一夜の夢の いたずらに
胸に残るは その瞳
こころ奪われさまよえば
この世に未練もついぞなし

 
いつの間にか、黒田子爵と斉藤、場末の酒場にふさわしい服装に変装し、店のテーブルについている。やってきた女給の明子に、気前よくチップを払い、酒を注文し、真美子の歌に耳を傾ける。
 
源一郎:夢に出でしその方は、まさに真美子の王子さま。
卓郎:ならば真美子は夢の王女か。
隆二:夢の王女に乾杯!
 
源一郎:
夢の荒野にひたすら彷徨い 
現のこの世に目覚めてみれば
この世もまさしくゆめまぼろしさ
 
卓郎:
モダンガールの群れる街角
求めるものはここにはない!
 
隆二:
ではしっかりとまぶたを閉じて
夢の世界に旅立とう!
 
全員:
時計の針に背中押されて すし詰めメトロで都会に出れば
この東京はジャングルさ。
ネオンサインに輝く街角 溢れる愛に背中を向けて
インテリ気取って闊歩する
ロマンスよりもインテリジェンス、それが昭和の俺たちさ!

 
真美子:さぁ、インテリジェンスもいいけれど、お店のツケはもうきかない。
隆二:おいおい姫様、そりゃないよ!
明子:いいえ、今日は払ってもらいますからね!
卓郎:よしきた合点承知のすけ、来月になりゃこの俺の連載小説が新聞に載る、その原稿料で払ってやるさ!
源一郎:ほお、そいつは初耳だ。その奇特な新聞の名前を是非とも聞きたいね。
卓郎:一夜のゆめまぼろし新聞
隆二:そんなこったろうと思ったよ。
源一郎:一夜のゆめまぼろしか、しかしこのカネは(と、ポケットから紙幣を出す)本物だぜ!
 
全員歓声を上げる
 
卓郎:一体全体何事だ?
隆二:まさか、お前に日の目が向いたか?
源一郎:そのまさか、さ!雑誌が売れた。それも完売だ!
 
全員、驚嘆の声。
 
源一郎:やっと時代がこのオレにおいついてきたあかしの金さ。今日の払いは勿論のこと、1つき2つき、いや半年と、たまり溜まったツケの飲み代、この札びらでお釣りがくるぜ!
 
全員:
時計の針に背中押されて すし詰めメトロで都会に出れば
この東京はジャングルさ。
ネオンサインに輝く街角 溢れる愛に背中を向けて
インテリ気取って闊歩する
ロマンスよりもインテリジェンス、それが昭和の俺たちさ!

 
隆二:日本の文壇に革新をと、新感覚にアブストラクト、あらゆる最新潮流をこれでもかとばかりつめこんだ、あのがちがちの文芸誌が、まさか完売ときたもんだ!源一郎がこの歌姫をモデルに筆を走らせた、あの「扉の歌」の文章が掲載された号だろう?
卓郎:われらが歌姫、「扉の歌」のヒロイン、真美子万歳!
真美子:ふざけた冗談お言いでないよ!私があんな貧乏臭いはかない歌姫のモデルだって!?だから源ちゃんに言ったんだ、この真美子様はおかんむりだよ!
源一郎:おお我が憧れの歌姫様、あなたの足元に跪く哀れな崇拝者の過ちを、どうか広い心を持ってお許しくださいまするよう、心よりお願いたてまつりまする。
隆二:じゃあ、あの名文「扉の歌」は?
卓郎:真美子がモデルじゃないのかい?
源一郎:ちょいと場末で聞きつけた、わびしい田舎の出稼ぎ娘の悲しいつぶやき書き留めて、それに真美子の華やかさをば、俺の脳髄の中だけで、しゃかしゃか混ぜたミックスジュース、ほんとのただの、創作さ。
真美子:甘い言葉を耳元で、「お前をモデルに一編のはかなく哀しい物語、俺の雑誌に掲載しても、構やしないか」なんてささやかれ、思わず軽くうなづいた、そのお返しがこの始末だよ。なんで私が東北のわびしい田舎のぽっと出の貧乏娘に仕立て上げられ、「扉の歌」の歌姫と冷やかされなきゃならないのさ。満州に行った父さんが私に言って聞かせた言葉、思わず忘れちまったのが、今となっては悔やまれるよ。「文士気取りの若者と、山師と株屋の男にだけは、ひっかかっちゃぁいけないよ」ってね。
 
源一郎がっくりし、全員どっと沸く。
 
卓郎:しかしながらお姫様、あんたもこんな場末のカフェの歌姫風情の分際で、我々時代のモダンボーイを袖にするとは解せないなぁ。
真美子:冗談ばっかりお言いでないよ。今じゃこんなうらぶれた今日明日知れぬ身の上だけど、昔はまさしくお姫様、私の父さんは華族だよ。
隆二:おやそいつは御見それしやした。
 
全員、笑うが、真美子がすっくと立ち、だまりこむ。
 
真美子:信じないやつはほっとくさ。私の父さんは華族なの。今じゃ確かに落ちぶれて、遠く満州の北の果て、いつかは一旗挙げようと、今日も汗水頑張ってる。明日になるか、明後日になるか、きっときっと近いうち、父さんは私を呼び寄せる。遠い北の街にある大きな大きなお屋敷に。そこで私は本当に、お姫様になって暮らすのさ。
 
雪に埋もれた国境の
街角照らすガス灯に
夜も知らずに煌々と
笑いさざめく人の群れ
 
さぁ踊ろう、コサックの踊り
体の芯まで燃やすよな ウォッカあおって一晩中
膝がしびれてぶっ倒れるまで ツンドラの大地踏み鳴らし
 
橇の鈴音華やかに
アムール川にこだまして
地平線から近づくは
青い瞳の恋人達
 
さぁ踊ろう、コサックの踊り
体の芯まで燃やすよな ウォッカあおって一晩中
膝がしびれてぶっ倒れるまで ツンドラの大地踏み鳴らし

 
卓郎:よおし、それじゃぁ河岸変えて、夜の東京で飲みなおしだ!
隆二:源ちゃん、行くぜ!
源一郎:ああ、スポンサーはオレで結構さ、でもちょいと仕事があってね。
真美子:明子ちゃん、私も出かけてくるわね。
明子:はいはい、お店は開けとくよ。
 
真美子の歌とダンスに盛り上がった客達、その余韻のままに、町へと繰り出していく。店には、源一郎と、そして片隅の暗がりに、黒田子爵と斉藤が控えている。
 
源一郎:「地平線から近づくは 青い瞳の恋人たち…」か…
黒田子爵:(呟くように)「その娘の生活は歌にある。歌は彼女の命であり、歌は彼女の神である。…」
源一郎:(気付き)それは…
黒田子爵:あの子を見ていると、この文章を思い出すよ。先日買った雑誌で読んだんだがね。
源一郎:それは、僕の文章だ。
黒田子爵:…おお、君が?それはまた、本当に?
源一郎:「扉の歌」の文章でしょう?
黒田子爵:そうそう。「つらい浮世を生きるうち、己の行方に迷うとき、心をこめて彼女は歌う。どこか哀しいその歌を。どこか優しいメロディーを。…」いやぁ、そんな歌をわしも持っていたら、この世も少しは住みよいんだがねぇ。
源一郎:扉の歌はあの子にとって、ふるさとの心の支えなんです。
黒田子爵:しかし、あの子の父親は、華族だという話だが?
源一郎:ああ、さっきの歌ですか。あれはね、全部、嘘ですよ。
黒田子爵:嘘だとな?
源一郎:あの子のふるさとは東北の、山の奥深い田舎村。近年続いた冷害で、この東京のかすかな身寄りに、身売り同然に身を寄せた、近頃よく見る田舎の娘さ。
黒田子爵:「なんで私が東北のわびしい田舎のぽっと出の貧乏娘に仕立て上げられ・・・」なんぞとさっきあの娘、君に啖呵を切っていたがな。
源一郎:それは僕の文章に、自分の故郷をまっすぐに言い当てられた狼狽さ。
黒田子爵:君はどうしてそのことを?
源一郎:一度僕がこの店で、暇にあかせて店番してた、そこにあの子の東京の身請け人の男とやらが、尋ねてきたことがあったのさ。話を聞くまでこの僕も、あの子の嘘を頭から、すっかり信じていたもんだったが。
黒田子爵:そんな田舎の小娘が何ゆえ遠い満州の豊かな暮らしを夢に見る?
源一郎:この世のうつつがあまりにもあの子にとって辛いから。あの子の両親は冷害で背負った借金返せずに、つもり積もった心労で、既にはかなくなりました。あの子の語る満州の大金持ちの父親は、こんなに辛い現実をなんとか生き抜くあの子なりの、切ない知恵の生み出した、悲しくはかない夢なのさ。
 
そして夢見るあの娘に 僕ができる全ては
夢を語るその唇 見つめ続けること
夢の大地を見つめる 遠い瞳の奥に
僕の場所がないのは 分かっているのに
 
夢は夢、けして届かず、それははかなく朝日に消える
夢は夢、知りながらも、それを心の支えに生きる
あの娘の夢を醒ますために 僕ができる全ては
ただ、あの瞳を見つめ続けること

 
黒田子爵:君は彼女に恋してる。
源一郎:ご明察の通りです。
黒田子爵:(立ちあがり)さて、そろそろ行かねばならん。(ポケットから紙幣を取り出し)これを受け取ってくれたまえ。
源一郎:一体なんのつもりです?施しを受けるいわれはないが。
黒田子爵:これは施しではないのだよ。君があの文章に織り込んだ君の真情が、一人の読者の胸の奥に、さわやかな風を届けてくれた。これは君の文章へのささやかなお礼だと思ってほしい。
源一郎:文士は文章で稼ぐもの。遠慮なく、いただいておきます。ありがとう。
 
黒田子爵、斉藤、店の外へ出る。