オリジナルオペレッタ「昭和ローマンス『扉の歌』その2  第一幕後半〜第二幕冒頭まで

黒田子爵、斉藤、店の外へ出る。
 
斉藤:(玄関先で)では、やはりあの娘が、「扉の歌」の歌い手ですな。
黒田子爵:間違いない。陸軍が動く前に、こちらで手を打たねばな。野口男爵を使おうか。
斉藤:野口男爵を?あの不良華族をですか?
黒田子爵:あれはこういう時にこそ、真価を発揮する男だよ。この時間ならばあの男、この近辺で捕まるはずだ。行きつけの店を知っておる。さ、行くぞ。
 
黒田子爵、斉藤、退場する。明子、店内に登場。
 
明子:源ちゃん、よかったね。
源一郎:え?
明子:雑誌、売れたんでしょう?
源一郎:ああ。でも本当は違うんだ。
明子:違うって?
源一郎:売れたのは売れたんだ。でも、みんなが読みたくて飛ぶように売れたってわけじゃない。
明子:どういうこと?
源一郎:買い占められたのさ。陸軍のわけの分からん連中に。
明子:それって、一体?
源一郎:オレにも分からん。検閲に引っかかった、というわけじゃない。ある日軍服の男が来て、雑誌はあるか、と聞いてくる。ありますよ、と答えたら、全部買いたい、と言ってきた。大した冊数じゃないからね、大した金額じゃないようで、あっさり即金で払ったよ。こちらも気軽に余計なことを聞く雰囲気でもないもんだから、「どんな方々が読まれます?」と、控えめに聞いてみたならば、「前線の兵士の士気高揚に」と木で竹をくくった返事だけ。こんな通好みの文芸誌、前線の兵士が読むわけはない。何か裏があるんだろうが、そこのところはよく分からん。
明子:じゃあ、源ちゃんのあの雑誌は…
源一郎:多分何かしら、軍隊に都合の悪い記事があって、全部ゴミ箱に捨てられたのさ。
明子:そんなの、そんなの…ひどいじゃない。
源一郎:ひどい話さ。でも、この金は現実だ。この金を元手にすれば、もっといい雑誌が作れるよ。
明子:源ちゃん、私…私ね。
 
忘れないでいてね いつでも私は
あなたの側にいて あなたを見つめている
あなたが見つめている あの人のことは
分かってはいるの それでも 私の心は止められない
 
源一郎:
君の視線なら 僕も気付いてる
分かってはいるさ それでも 僕の心は止められない
 
二人:
瞳を見つめて 懐かしさに震える
その思いを 分かち合えても
すれ違う思い 時のいたずらに
二人の心は まだ 重ねられない
分かってはいるさ(いるの) それでも 僕の(私の)心は
止められない

 
源一郎:君みたいないい子がいるのに、なんで真美子なんかに惚れちゃったのかな。
明子:真美子ちゃんと源ちゃんが幸せになってくれるなら、私はそれでもいいの。ただ、源ちゃんに、幸せになってほしいの。それだけなの。
 
平田たち、皇道派軍人登場。乱暴に扉を開け、店に入ってくる。
 
平田:柏崎源一郎は、いるか。
源一郎:(明子を背後にかばい)私ですが。
平田:聞きたいことがある。正直に答えたまえ。君のあの雑誌の「扉の歌」のモデルになった女性を探している。
源一郎:聞きたいことがある、ですか。人にものを聞くときは、まずその理由をいいなさい、って、ご両親に教わりませんでしたか?
平田:両親にはそう教わったがね。大日本帝国が命じるのだよ。語るべきことは語れ、語るべからざることは死んでも語るな。君はただ、私の質問に答えればいい。あの文章のモデルの女性は、どこにいる?
源一郎:ああ、あれは創作ですよ。
平田:創作だと?
源一郎:ええ。ちょいと場末で聞きつけた、わびしい田舎の出稼ぎ娘の悲しいつぶやき書き留めて、それに夜の街に踊るとある華やかな歌姫をば、俺の脳髄の中だけで、しゃかしゃか混ぜたミックスジュース、ほんとのただの、創作さ。
平田:要するところ、「扉の歌」など、この世のどこにも存在しない、と、そういうことか。
源一郎:おっしゃるとおり、ご明察。
平田:(明子に)一杯もらうことにしよう。(テーブルにすわり、仲間を呼ぶ)君たちも飲め。これが飲まずにいられるか。
 
真美子を中心にした仲間達、どやどやと戻ってくる。
 
全員:
さぁ踊ろう、コサックの踊り
体の芯まで燃やすよな ウォッカあおって一晩中
膝がしびれてぶっ倒れるまで ツンドラの大地踏み鳴らし

 
卓郎:よお、これは未来の日本の文壇を一身に背負って立つ才能あふるる編集者どの、又の名を今宵のスポンサーどの!そろそろお開きって姫様が言うから、戻ってきちまったよ。ほら、あんたの「扉の歌」の歌姫さまのお帰りだよ!
 
源一郎、はっとするが、もう遅い。真美子たち、平田たちに気付き、凝然とする。
 
平田:(ゆっくり立ち上がり、真美子に近づく)君が、「扉の歌」の歌姫か。
真美子:(むっとして)源ちゃんちょっと、どういうこと?ちゃんと説明してくれた?
源一郎:説明はちゃんとしたんだが・・・
卓郎:これは大変失礼を。この歌姫は「扉の歌」のモデルになった歌姫だ、それは確かにそうなんだが、あれはこの柏崎源一郎の頭の中でこしらえた、フィクション、嘘のミックスジュース。
真美子:そうさ、あんたにゃこの私が、「扉の歌」に描かれた、しがない北の国の貧乏娘のなれの果てに見えるかい?
平田:そういうお前の生い立ちは?
真美子:私の父は華族です。遠く大陸満州で、一旗挙げて戻ってきます。
平田:ほお、そしてその父上の、お名前はなんとおっしゃるか?
真美子:沢渡・・・沢渡子爵と申します。
平田:沢渡子爵とおっしゃるか。ほお。あまり聞かない名前だな。
真美子:・・・興した事業にしくじって、ずいぶん前に貧乏華族に。
平田:私の特技の一つでね。人の名前は忘れない。私の頭の中にはね、士族華族の方々の名簿が一冊入っている。この大日本帝国に、士族華族と呼ばれる方が、さほど多くはいないのを、お前さん知っているのかい?
真美子:私は・・・私は・・・
平田:証拠を見せてもらおうか。
真美子:証拠、とおっしゃる?
平田:あんたが華族の娘だと、そこまで言い張る証拠の品、家系図、写真あるいは先祖伝来の何か貴重な品物などの、いかに些細なものであろうと、何かひとつはあるだろう?
真美子:それは・・・それは・・・
平田:沢渡子爵のお嬢さん、この私の目の前に、沢渡子爵という華族の方が、確かにいたという証拠、さあ見せてもらおうか!
 
と、遠くから、鈴の音がする。しゃんしゃんしゃん、と澄んだ音。その場の全員が、耳を澄ます。
 
隆二:なんだ、あの音は?
 
野口男爵、ロシア風の帽子をかぶり、颯爽と登場。
 
野口男爵:
地平線の彼方まで ただ凍てついた大地から
はるばる花の東京に 舞い戻ってきたならば
夜を彩る華やかな ネオンサインの輝きに
乱れ舞う蝶と見まがうは アール・ヌーヴォの天使たち
 
あなたが、沢渡真美子さんだね。
 
真美子:そうです。
野口男爵:よかった。やっと見つかった。
 
妖しき夜の虹の中 舞い飛ぶ五色の蝶のうち、
ひときわ輝く歌姫は わが親友の忘れ形見
美しきその瞳の中に かの人の面影確かめん。
 
真美子:
待ってください、どういうことか
私にはさっぱり…
 
野口男爵:
あなたこそ わが親友の
沢渡子爵が臨終の
最後の息をひきとった
そのぎりぎりの間際まで
行く末いかにと胸痛め
その将来をこの我に
託した娘、その人と。
 
全員:
真美子の夢が、大陸の夢が
今こそここに、現実に!
 
真美子:
それでは私の父親は
 
野口男爵:
実においたわしいことなれど、
シベリアの風が身に合わず
はかなく土と成り果てた。
 
全員:
なんてこと!かわいそうな真美子!
 
野口男爵:
しかし案ずることはない。
沢渡子爵はこの我に
あなたの未来を託したのだ。
私は野口。野口男爵。
さぁ今すぐにわが館へと
旧友の娘をお迎えしよう!
 
全員:
なんてこと!ああなんてこと!
真美子の夢が現実に!
華族の夢が現実に!
 
源一郎:
そんな馬鹿なことがあるもんか 大陸の夢はただの夢 現実になんかなりえない!
 
真美子:
こんな馬鹿なことがあるかしら 大陸の夢はただの夢 現実になんかなりえない!
 
平田:
こいつはとんだ人違い かすかな手がかりたどってみれば お宝どころかお涙ちょうだい、大時代がかったメロドラマ!
 
野口男爵:
これからは君は何不自由なく
私の館で暮らすのだ
今まで散々苦労をかけたが
それもこれで帳消しだ。
 
真美子:
雪に埋もれた国境の
街角照らすガス灯に
夜も知らずに煌々と
笑いさざめく人の群れ
 
さぁ踊ろう、コサックの踊り
体の芯まで燃やすよな ウォッカあおって一晩中
膝がしびれてぶっ倒れるまで ツンドラの大地踏み鳴らし
 
橇の鈴音華やかに
アムール川にこだまして
地平線から近づくは
青い瞳の恋人達
 
さぁ踊ろう、コサックの踊り
体の芯まで燃やすよな ウォッカあおって一晩中
膝がしびれてぶっ倒れるまで ツンドラの大地踏み鳴らし

 
第一幕 幕 
 
第二幕(野口男爵の邸宅):
  
ぼんやりと浮かび上がる机。プロローグのそれではなく、野口男爵の邸宅の机だ。机の前の椅子に悠然と座る黒田子爵。机にもたれるように立つ野口男爵。談笑している。
 
野口男爵:あの時の平田の顔を、子爵、あなたにも見せたかったですよ。
黒田子爵:とりあえずの一の矢は、なんとかこちらが先んじた。
野口男爵:しかしあちらも一の矢で、手を緩めるような輩じゃない。
黒田子爵:次はこちらが「扉の歌」を、なんとか先に手に入れる。
野口男爵:それでは私はお役御免で、あとは子爵にお任せと、舞台を退場いたしましょうか。
黒田子爵:そういうわけにはいかないな。あの子の心を解き放ち、「扉の歌」を歌わせるには、わしは少々役不足。わしが君を選んだのは、君が女のあしらいに手馴れた色男と見込んだからさ。
野口男爵:それで子爵が「扉の歌」を、見事手に入れた暁に、あの娘は一体どうなります?
黒田子爵:そこから先は我らの領分。君は仕事をこなせばいい。あの子に心を奪われるなよ。あの子はただの美女じゃない。宝の道を開くもの。
野口男爵:それは彼女の意思じゃない。浮世の風に荒れてはいても、もとは鄙びた優しい心の、純な田舎の小娘です。
黒田子爵:一つ忘れてもらっちゃ困る。わしは君の借財を、そっくり肩代わりすると約束した、その約束は、あくまでも、君が自分の分相応に、わしが求めたこの仕事、きっちりこなすのが条件だよ。
 
じっとにらみ合う二人。暗溶。暗い中から、華やかな女中たちの笑い声が聞こえてくる。舞台が明るくなると、野口男爵の邸宅。誰もいない大広間を、忍び足でやってくる真美子。美しいドレスを着ているが、髪がぼさぼさ。上手で女中たちの笑い声がわっと起こり、真美子はぎょっとして、上手から下手まで、ドレスのすそを持ち上げて、男のようにわっせわっせと駆け抜け、下手のソファーの後ろに隠れる。後を追うように、駆け込んでくる女中たち。
 
女中達:
お嬢様 お嬢様 お嬢様
どちらに どちらに どちらに
本当に蝶のように
本当に鳥のように
本当に夢のように
軽やかな方!
髪を結いましょうね
ドレスを直しましょうね
首飾りはどれになさいますか
 
真美子:(ソファーの陰から)見つかったら大変、もう我慢できないわ!
 
女中達:
(真美子を見つけ)見つけた!
 
真美子:見つかった!(駆け出そうとし、女中に囲まれる)
 
女中達:
今度こそご観念願いますわね。
 
真美子:
お願いだからお手柔らかにお願いしますわ
髪を強くひねりあげるのはご勘弁なの
ドレスも重いし 首飾りは肩が凝るし
そんな大きなイヤリング 耳たぶがちぎれちゃう!
 
女中達
お嬢様 お嬢様 お嬢様
きれいね きれいね きれいね
本当に風のように
本当に花のように
本当に夢のように
華やかな方!
着飾って舞踏会に
エスコートは旦那様
二人ならきっと舞踏会の華に
 
真美子:舞踏会の華に…(夢見るように)

 
女中たち、真美子を残して退場。貴婦人然とした真美子が残る。野口男爵登場、そんな真美子を微笑みながら見ている。
 
野口男爵:そのドレスは気に入ったかな?
真美子:え、(どぎまぎ)ええ…こんな素敵なものを、本当に、ありがとうございます。
野口男爵:いちいち礼を言うことはない。沢渡子爵にくれぐれもと、君の行く末を託された私だ。今宵の舞踏会で君は、社交界の表舞台に躍り出るだろう。
真美子:男爵さま、一つ、一つだけ、お尋ねしたいことが…
野口男爵:何かな?
真美子:私、本当は…(口ごもる)
野口男爵:何だね?
 
真美子:
(独白)
言えないわ。それに聞けないわ。どうして私の根も葉もない嘘を
この方が本気になさっているのか
 
野口男爵:
(独白)
嘘つきと そして別の嘘つきが 見えない互いの腹を探り合って
二人の間に真実が生まれるなら…
 
真美子:
一つだけ教えてくださる?
あなたが私に与えてくれたもの
この華やかな心浮き立つ素晴らしいものは
本当に現実のものなのかどうか?
 
野口男爵:
一つだけ君に伝えたいことは
私が君に与えられるもののうち
最も華やかで心やすらぐ素晴らしいものだけを
君に与えたい、そのことだけ。
 
二人:
夢の世界で 二人踊れば
輝かしい未来が、天に輝く
それが刹那の夢の輝きでも
私たちは見る二人の新しい未来を…
 
野口男爵:
一つだけ君に尋ねたいことは
私の思いを信じてくれるかどうか
真美子:
例えはかなく輝く幻の星の光でも
 
二人:
この温もりは確かに二人のもの
 
夢の世界で 二人踊れば
輝かしい未来が、天に輝く
それが刹那の夢の輝きでも
私たちは見る二人の新しい未来を…

 
真美子:私、なんだか信じられないの。男爵のような素敵な方と、舞踏会で踊るなんて、昨日までの私にはまるで夢のようだし…
野口男爵:僕が君を見つけた。君はとてもきれいだ。夢幻だとしても、今の幸福は、僕らにとって真実だろう?
 
真美子、微笑み、挨拶すると、広間を去っていく。野口男爵、その後ろ姿を見送る。