オリジナルオペレッタ「昭和ローマンス『扉の歌』その3  第二幕後半

真美子、微笑み、挨拶すると、広間を去っていく。野口男爵、その後ろ姿を見送る。
 
野口男爵:氷の心を持つ男、泣かせた女を数えれば、帝都東京銀座界隈のガラス窓の数より多いと、浮名を流したこのオレが、なんであんな田舎娘に…
 
通いなれたる銀座の町の夜を彩るガス灯の
妖しき光が照らし出す夜の帳の綾なす夢に
ただゆったりと身を沈め、唇潤すぶどう酒の色に
遠いはるかな幻の理想の美女の夢を見る
 
それがオレの生き方だった
それがオレの日々だった
親の財産食いつぶし
遠く欧州、アメリカと
若き血たぎらせ学んだものは
心貧しいこの国の
愚かな滅びの未来図ばかり
 
ただただこの世をはかなんで夜を彷徨うこのオレの
酔いにかすんだ目の前に現われ出でた可憐な女
自分の嘘に身を沈め、純な心をひたすら隠し
遠いはるかな幻の理想の暮らしの夢を見る
 
あれがオレのビーナスなのか
あれがオレの夢なのか
自分の祖国に絶望し
夜の都会に逃げ込んだ
オレの血かきたてささやく声は
震えおののく歌姫の
救い求める「扉の歌」か

 
野口男爵が退場すると、明子が登場。館のあちこちを眺め、その豪華さに圧倒されている様。恐る恐る広間の真ん中に来たときに、真美子登場。
 
真美子:(安堵感で思わず大きな声で)明子ちゃん!
明子:(ぎょっとして飛び上がり)すみません、申し訳ございません!!
真美子:何言ってるのよ、私だよ!
明子:真美子ちゃん?ほんとに、あなたなの?…なんて綺麗なドレスなの。
真美子:明子ちゃん、私、どうしたらいい?一体全体どうしたらこの夢から醒めることができるんだろう!
明子:夢だというの?このお屋敷が?
真美子:このお屋敷も、このドレスも、この綺麗なネックレスも、全部全部夢なのよ。夢なの、夢に決まってる。こんなことがあるはずない!
明子:真美子ちゃん、どうか落ち着いて。
真美子:私…私どうしたらいいの?不安で不安でたまらない。あの男爵があまりにも素敵すぎて怖いの。私が夢見た王子様、あれはただの夢なのに、あの方は、あの男爵様は、私の目の前に立っている。私に触れる手のひらが、なんて温かくて優しいか…
明子:私をここに呼んだのは、あんたのノロケを聞かせたくて?
真美子:ノロケで言ってるわけじゃない!これは夢なの、夢なのよ。(意を決し)明子ちゃん、あなたにだけ、私の親友と見込んでね、本当のことを話すわね。
明子:本当のことって何のこと?
真美子:私は…私は…全然全く、子爵令嬢なんかじゃありゃしない!
明子:何を言ってるのか分からないよ。
真美子:シベリアの土地で一旗あげると、大陸に渡った沢渡子爵、それが私の父親と、ずっとお店で言い続けた、あれは全部私の頭で作り上げた絵空事。
明子:真美子、それって…
真美子:源ちゃんがあの雑誌に書いた、「扉の歌」の歌姫さん。北の貧しい田舎の村から、口減らしのために追い出され、はるばる東京に流れ着き、夜の隅っこで震えながら、助けを求めてひたすらに「扉の歌」を口ずさむ、あれこそ私の本当の姿。
明子:それじゃあ野口男爵は?
真美子:嘘こそが誠であるならば、今目の前のこの誠も、一瞬で嘘に変わるかも。そして野口男爵は、ああ、あの素敵な男爵は、いいえ、本当のはずがない!ああ、頭がこんがらがるわ。沢渡子爵なんていないのよ。いない子爵の友人が、私にこんなお屋敷でこんな幸せくれるはずどう考えてもありえない!
 
わかって、お願い、私のこの不安
震える足が踏みしめているこの大地さえ信じられない
突然消えるゆめ幻で、何もない空に放り出される
あるいは深い穴の底へとただひたすらに落ちていく
 
そんな不安が消えないの!
 
明子:
おちついて、お願い、あなたは混乱してる
男爵さまが与えてくれたこの幸せだけ信じればいい
優しいあの方の微笑だけを、ただ見つめていればそれでいいの
あの方の心は本物のはずよ、あなたもわかっているはずよ
 
真美子:
そう、あの方のまなざしは
私の夢を照らす光
ただそれだけを信じていれば
それで心は満たされる。
 
明子:
そう、あの方の真心が
あなたの夢を誠にした
 
二人:
ただそれだけを信じていれば
それで私(あなた)は満たされる。

 
真美子:私の不安を分かってくれる?
明子:とても信じられないけれど、沢渡子爵が夢の方なら…
真美子:野口男爵も夢の方!ああ考えるだけで怖くなる!
明子:でもあの方は本物よ!あなたを見つめるあの方の、あのまなざしは本物よ!
真美子:私の生まれた北の村、私の家は古い血筋で、「扉の歌」はその家に代々伝わる古い歌なの。「扉の歌」を教えてくれた、私の死んだ母親は、一緒に私に教えてくれた、全てを闇に葬る歌を。開いた扉を閉ざす歌。「埋めの歌」という歌を。
 
「埋めの歌」の不安なメロディーが流れてくる。
 
明子:「埋めの歌」?
真美子:今はいくら「扉の歌」を口ずさんでも見えないの。私に光が見えてこない。代わりに頭に浮かぶのは、不安な「埋めの歌」ばかり。今この私が生きている、この世界全てが闇の中に一瞬で消えてしまうような、そんな気持ちが消えないの…
 
「埋めの歌」のメロディー消える。
 
明子:真美子ちゃん、お願いよ。あんたらしくなさすぎる。あんたは私の夢だった。つらい夜の客商売、嫌な思いも沢山あった、それでもあんたはいつだって、明るく楽しく歌ってた。どんなに体が辛くても、どんなに嫌なお客でも、あんたはいつもあんたらしく、前を見据えて歌っていたよ。そんなあんたを見ていると、私はいつも元気が出たんだ。あんたは私の夢だった。そしてあんたが見た夢が、今こうやって現実になった。あんなに素敵な男爵さまが、あんなに熱いまなざしで、あんたをまっすぐ見つめてる。その男爵さまを信じなきゃ。
真美子:ありがとう、明子ちゃん。私怖くて。あの方に、本当のことを尋ねるのが。
明子:大丈夫きっとあの方は、あなたを悪いようにはしない。本当のことを話すのよ。本当のことを尋ねるの。そうしてあの方を信じるの。
真美子:ごめんね、明子ちゃん、やっぱりあんたは私にとってたった一人の親友だ。(微笑む)
明子:元気出してね。
真美子:明子ちゃん、一つお願いがあるの。お店のみんなをここに呼んで。
明子:え?
真美子:今夜の舞踏会に出かける前に、私男爵に聞くつもり。そして本当のことを言うつもり。でもどうしてもその前に、お店のみんなに会いたいの。会って力をもらいたいの。
明子:分かったわ。すぐに呼ぶ。
真美子:ありがとう明子ちゃん。お願いね。(退場する)
明子:(独白)私はあの子のたった一人の親友か。私はだけど本当に、あの子の幸せのためだけに、この夢が続くのを願うのかしら。それとも私の思ってるあの源ちゃんの懐に、彼女が戻ってくることをただ恐れているだけなのか…
 
誰の心の中にも 閉ざされた扉があるもの
その扉が開くとき 誰もが恐れるとき
扉の奥に潜むものは それは光かそれとも闇か
自分自身の思いさえ信じられないこんな時
この目の前の現実も夢の中へと溶けていく…

 
明子退場。野口登場。背後にいるものを認識しながら、傲然と肩をそびやかす。
 
野口:それで、私に用と言うのは?
 
平田、影のようにゆらりと登場する。
 
平田:今夜は舞踏会にいらっしゃるそうで。
野口男爵:(皮肉そうに)誰から聞いたね?
平田:多くは語らない。それが私の職業病でね。
野口男爵:悪い病気だ。
平田:あの女・・・沢渡子爵の忘れ形見もご一緒に。
野口男爵:今晩、社交デビューさせるよ。
平田:社交界嫌いで通ったあなたが、また不思議な風の吹き回し…沢渡子爵とやらのこと、悪いが調べさせてもらいました。
野口男爵:本当に、悪い病気だな。
平田:実に驚いたことにですな。沢渡子爵は確かに存在した。日本で事業に失敗し、満州に渡って客死した、よくいる哀れな没落華族。
野口男爵:何を疑っているんだい。
平田:ただし、昨年はいなかった。
野口男爵:ほほぉ。
平田:昨年の華族年鑑をいくら紐解いて調べても、沢渡子爵なんて名前は、かけらも出てはこないんです。これが何故か2日前、出版された華族年鑑には、しっかり記載されている。これはどういうことですか?
野口男爵:華族年鑑なんてものはね、ただの帳簿と一緒だよ。帳簿には書き込みミスがある。年鑑も一種の統計だ。記載もれなんてのはしょっちゅうだよ。私の名前も来年あたり、消えてなくなる予定らしいし。
平田:私は東北の出身でね。
野口男爵:・・・
平田:田舎の貧しい村で生まれ、冷害やら過酷な徴税の中、必死に学問で身を立てて、なんとかここまでになりました。だから何となく分かるんです。あの娘にはこの私と同じにおいがするんだな。
野口男爵:まったく悪い病気だね。実に失礼な男だよ。
 
源一郎登場するが、その場の雰囲気に物陰に隠れる。
 
平田:では私は失礼を。数々の無礼な言葉、まずはお詫びいたしましょう。ひとつ忠告差し上げます。どうせ嘘をつくのなら、最後までだましとおすこと。自分自身すらだますくらいの覚悟を持たねばダメですよ。(退場)
 
源一郎:こんにちは
野口男爵:どうして君がこの場所に?
源一郎:真美子が僕らを呼んだんです。晴れの姿を見せたいと。おっつけ皆も来るでしょう。
野口男爵:それなら早速お迎えの支度を女中に言いつけよう。(退場しかける)
源一郎:ひとつあなたに尋ねたい。
野口男爵:(振り返り)何かね?
源一郎:あなたの真意はどこにある?
野口男爵:私の真意?
源一郎:あなたは知っているんだろ?沢渡子爵など存在しない。全ては真美子の夢の産物。
野口男爵:何の話か分からんな。
源一郎:あの子の夢を夢として、どうしてそっとしておかなかった?
野口男爵:その言葉、そっくりそのままお返ししよう。どうして「扉の歌」なんぞ、君の雑誌に載せたんだ?
 
源一郎、絶句する。
 
野口男爵:いかにも、私は知っている。君より多くを知っている。そしてあの子を利用しようとあの子の夢につけこんだ。しかしそういう君だって、あの子の心の拠り所、「扉の歌」の物語、自分の雑誌に取り上げて、日々の糧にしようとした。あの子を利用したのは同じ。我々二人は同じ穴に身を寄せ合ってるむじなだよ。
源一郎:「扉の歌」がそんなにも大きな意味を持つのかい。
野口男爵:私は信じちゃいないがね。告白ついでに教えてあげよう。これは私にさる方が、この大日本帝国の未来を賭けた話だと持ちかけてきた依頼でね。
源一郎:ははん。
野口男爵:私も彼にそういった。
源一郎:は?
野口男爵:私も「ははん」と言ったんだ。そのさる方に向かってね。この大日本帝国は確かに滅びの道にある。しかし俺に何ができる。そしたらその「さる方」は、俺が昨年満州で大失敗した事業の借財、全て肩代わりすると言い出した。
源一郎:結局はカネか。
野口男爵:その通りさ。俺は薄汚い不良華族。放蕩の限りを尽くした挙句に、親の財産食いつぶし、にっちもさっちも行かなくなって、体ひとつでこの東京に逃げ戻ってきた負け犬さ。沢渡子爵がもし本当に存在してたとしたならば、彼と俺とは満州で、きっと親友になっただろうさ。
源一郎:その「さる方」の依頼とは?
野口男爵:俺にもよくは分からんさ。あの子の歌う「扉の歌」を、軍部の連中が狙っている。どうやらその「扉の歌」が、東北山中に眠っている巨大な財宝の扉を開く鍵を握っているらしい。軍部のこれ以上の拡大の助けになるような企ては、それがどんなに眉唾の夢物語であったとしても、小さな芽のうちに摘み取れと、まずは俺が彼女を保護し、彼女の嘘を誠にしたのさ。
源一郎:そしてその後、真美子はどうなる?
野口男爵:俺にもこの先どうなることか、さっぱり見当がつかないんだ。娘の夢を誠にして、あの子を社交界にデビューさせ、沢渡子爵の忘れ形見と、蝶よ花よとかわいがり、「扉の歌」の秘密を聞き出し、そしてそれからどうするか・・・
源一郎:結局のところ軍部でも、その「さる方」とあんたでも、狙いは一つ、「扉の歌」が導く財宝の隠し場所、最後の目的はカネなんじゃないのかい?
野口男爵:俺には自分が分からない。確かにきっかけはカネだった。しかしあの真美子の瞳が、どうにも俺を迷わせる・・・
源一郎:あの胡散臭い軍人野郎も、ただ胡散臭いだけじゃない、たまには本当のことも言う。あいつはさっき言ってたね。どうせ嘘をつくのなら、一生彼女をだましつづける、そんな覚悟がなけりゃだめだと。
野口男爵:俺にはそんな覚悟はないさ・・・俺には迷いがあるだけだ・・・
 
物陰から、突然、高笑いの声があがる。
 
真美子:全部全部嘘だった。全部全部夢だった!みんな私の「扉の歌」が導くお宝が目当てなだけの、欲にまみれた男どもが、私をだました夢だった!
野口男爵:真美子!
源一郎:聞いてたのか?
真美子:そうとも私は分かってた。どんなに綺麗で豪華な夢でも、これは一夜の夢だって。でも私は一瞬だけでも、あなたの瞳を信じたの。あなたが私を見つめる瞳。その奥にある真実を、ほんの一瞬信じたの!
野口男爵:真美子!僕は・・・
真美子:また私に嘘をつくの?また私に夢を見せるの?聞かせてあげる、あなたが知りたい、私のたった一つの真実、私は貧しい北国の、食い詰めた村の小娘よ。寒さに震える冬の夜には、炎の絶えた囲炉裏のそばで、小さな弟妹抱いて、「扉の歌」を歌ったさ。さあ、聞くがいい、「扉の歌」を。これだけが私の真実さ!
 
いつしか、「モンマルトル」の客たちが到着、惑乱する真美子を見つめている。
その人々の視線の中で、泣きながら真美子は歌いだす。
 
嬉しきかなや いざ行かん
嬉しきかなや いざ行かん
ぬばたまの 闇の山路を
あしびきの 山より出ずる
極楽の浄土の道を いざ行かん
あかねさす 夕日輝く 木の下に
黄金の扉 押し開き
極楽浄土へいざ行かん
 
人々:
この歌があの「扉の歌」!
 
野口男爵:俺の心は引き裂かれた、あの子の涙に引き裂かれた。あの美しい涙の前で、俺の今までの生活は、まさに下らぬはかない夢だ!
 
人々:
真美子は知った、本当のことを
真美子は告げた、本当のことを
そして真美子は失った、
自分の夢を、そして愛を
 
真美子:
私の小さな弟は、この歌歌う私の腕で
飢えて凍えて微笑んだまま そのまま冷たくなりました。
私の小さな妹は 隣の村に里子にだされ
生きているのか死んでいるのか。二度と会えずにそれっきり。
それでも小さなあの子たちは、私のこの歌聴くたびに、
楽しそうに笑ってくれた。
あの笑顔だけがこの私の
たった一つの本当なんだ!
 
平田:(舞台外より)
無駄な涙を絞っても、世間知らずの華族様の
お坊ちゃまには通じないぜ!

 
平田を先頭に、どやどやとなだれ込む軍服の男たち。源一郎、野口男爵、そして真美子を取り囲む。
 
平田:
「扉の歌」の歌い手の、あんたをずっと探していた。
これからあんたを連れて行く。
 
野口男爵:
そんな勝手はさせないぞ!
 
飛び掛るが、銃尻に殴られ、昏倒する。
 
平田:
さあお嬢さん、参ろうか、
あかねさす 夕日輝く木の下へ。
そこに我らの目指すべき、真実の場所があるはずだ!

 
人々、軍服の連中にこづかれ、そのまま、舞台外へと連行されていく。
 
 
第二幕−幕